年飯(ニエンファン)

mklasohi2007-02-12

 今日のお奨め記事は、腊魚(ラユィ)という干し魚を手に持ち上げるお婆さんの「年飯―貧しくても、金持ちでもお正月のご馳走は欠かせない」という記事。  (長江日報2月12日)
 日本では元旦におせち料理を食べるが、中国では除夜に皆で「年飯」、「団年飯」と呼ばれるご馳走を食べる。この記事は武漢のあるお婆さんが半生の年飯のメニューとそれにまつわる思い出を語ったもの。
 1954年 揚げ魚と大根の煮物などの四菜。鉄道枕木防腐工の夫と3人の子どもの5人家族。普段、魚はおろか、お米が食べられたら幸せというほどの食生活。大きな魚は買えず、かつ肉団子なしの大根の煮物だ。大根を丸く切って肉団子の代わりにしたと。
 66年 油も配給制で、日々節約した油を使って豆腐団子を作ったとある。一汁四菜。
 72年、お婆さんも漢陽で店員として働き始め、3日分のご馳走を用意できるほどに。料理は一汁九菜に増えている。吉祥如意の意味が込められた十種類の野菜が入った「十様菜」がおいしそう。 
 83年、国の経済も日に日によくなり、老頭子(おじいさん)が工場を定年、魚業を始めている。孫を含めて一家揃うと15人。子どもたちは1人10元のお年玉をもらって、家の前からも後からも賑やかに爆竹の音が聞こえた、とある。2汁11菜、様々な肉類が加わる。
  92年、67歳でおじいさんが亡くなった年。甘いスープ、鍋物も加わって12種類以上のお料理。
テーブルに「お爺さんの席」を用意してお酒、ご飯、お箸を並べ、「お父さん、年飯食べてください」と声をかけたとある。その年の一家の気持ちが伝わってくる。
 2004年 火鍋も魚団子鍋と、羊鍋の2種類、蟹やエビのメニューも見えて16種類以上。おばあさんも年を感じて、年飯作りもお嫁さんたちに任せることに。いろんな海鮮は聞いたこともないし作り方など勿論わからない、と。
 去年、生まれて数ヶ月のひ孫が先天性の心臓病で手術、おばあさんも村の家を売り払って援助したが、天は願いを聞きいれてくれなかった。それでも一家は涙をぬぐって新しい年に希望を抱いている、と。
 「貧乏でも、金持ちでも、喜びのときも、悲しみのときも、一年に一度の団年飯はどうしても欠かせないものだよ」
 風雪に耐え、80歳近くまで生きてきたおばあさんの言葉は重みがある。