「今夜無人入眠」―今宵は誰も寝てはならぬ

 今夜、湖北省人民政府外事弁公室・湖北省外国専家局、武漢音楽院が主催で、いわば外国人専門家のために開かれた「2007年新春・クリスマス音楽会」でも聴いてきた、トゥーランドット「今宵は誰も寝てはならぬ」をダウンロードして聴いている。テノールの甘い響き。
長い一日だった。 午前4時間の授業を終え、2時半過ぎに今日の講演会場の教室へ向う。天気晴朗なれど波高し?いや、おとといまでの心配はすでにおなかの底に収めてある。
B大のN先生がご講演の中で、現代日本で一番多く採用されている社会科教科書のスキャンを学生にお見せになるということで、学生のレベルによっては受け取り方が様々であることが予測できた。事実B大学では、「侵略」の文字を見ただけで泣き出した学生もいたということであった。
そのため学部長でもあり学生達に尊敬を集めているC教授にご臨席を賜れればとお願いもしてみた。万が一私の力で学生を抑えることができない事態が起きた場合にと考えたのだ。しかし、お時間が取れないということだった。
N先生とも打ち合わせ的なお話は幾度かした。姑息な手を使ってもしょうがない。出した結論は、全ての学生に1度で分かってもらうことを目指さないということ。
いろんなレベルで感じた学生たちがいると思うが、知ることが第一歩。何かの種を手にして帰り、訝りながら、あるいは憤りながら、考えながらいつか何かに思い至る学生もいることだろう。巧言令色鮮し仁。相手を嬉しがらせることばかり言うのは真の付き合いにならない。これからもこうした機会を作って、双方の考えをより分かりあいたいし、また、焦らずじっくり彼らの成長に付き合いたい。そしてまた彼ら質問や言い分にきちんと耳を傾け理解したい、私も成長したいと思う。
 互いに何かがおかしいと思っても、そのことを即時に理解しあうことが難しい。近寄ろうとする努力なのだということを理解してもらえればいい。
 終って、外事処が用意したバスにN先生と飛び乗って、パンをかじった。
音楽会たけなわのときには、これでよかったと最初の一歩を踏み出した満足を感じていた。勿論傷を負った子がいれば介抱も必要だが、彼らも大学生、しかも日本語を学ぶ学生。今日は私が小さい橋となったが、いつか彼らが日中の間に立って双方の考え方を伝える日も来ると思う。
 N 先生、今日はお疲れ様でした。本当にありがとうございました。

「この謎が解けるまで、今宵は誰も寝てはならぬ?」いいえ、それぞれの力が健やかに使えるよう、みんなゆっくり休んで英気を養いましょう。夜も更けましたね。それでは皆さん、お休みなさい。