見学会後記など

ホンダ見学のあと大学にもどり、Z助教授とY先生と3人で食事した。Z先生は50代半ば、カメラがご趣味で、ことあるごとにまるで写真屋さんのように撮影を担当される。自転車を愛用し、お金はカメラやたまには寄付に注いでいらっしゃると聞く。その先生が、「いや〜今日の工場見学で文革の時やらされたトラクター工場を思い出しましたよ」と話しはじめられた。トラクター組み立ての専門家?だった。たった一人の大学生で一日3〜4台生産する小さい工場だったそうだ。
 日本語科研究室の先生方は皆、文革世代で、Z先生が先に大学に入ったため年上のC教授(学部長)が教え子であったとか、当時の知識青年の足踏みと時間のずれが研究室の歴史の中にも反映されている。いつも文革のことや日本に対する思いなどをこちらから聞くことは躊躇される。
 子ども時代は武昌駅の裏に池があって毎日蛙を山ほどとって食べたそうだ。じゃ、先生の体の一部は蛙でできてできるのですねというと「はい、わたしは蛙です」と言われるので大笑い。
 北京で勉強していた時に、留学中の日本人女性と知り合い恋に落ちたが、当時は日本人との結婚など許される時代ではなく2人で諦めた。いまの奥様と結婚する時、「私よりきれいかどうか見に行くわ」とその方が日本からこられ、いい人でよかったとしながらも「あなたを半分にして日本に持って帰りたい」とこぼされたそうだ。Z先生の自慢話?はともかく(笑)、その女性の純粋な思いのこもった言葉には打たれます。
         
 人の心は鋼(はがね)に非ず。わが心も鋼に非ず。心がそれでよい、それしかないとめいずるままに歩いていくしかない。そんなことを何かと思いわずらう今日この頃・・・。見上げれば、青空、ちぎれる雲、風に飛んでいく12月。